『僕が新米刑事だったとき…』
松尾はるな様より





「さくらちゃん、大きくなったら僕と結婚しようね〜」

 眠る赤子の指をあやしながら、青島が笑って"プロポーズ"する。

「お前、いくつになってるんだその時」

卓上に青島持参のビールを並べながら、父親になったばかりの室井はまぜかえした。

「さあ…50くらい?」

「青島君だけは婿にもらいたくないわ。娘にとって幸せとは思えないもの。」

キッチンから産休中のすみれが突っ込みをいれてくる。

「ひっで〜〜〜」

そんなことないっすよねえ?

にゃはは、と笑う男はすでに離婚歴1,勤務中における瀕死の重傷1,勤務外の事故による重傷1,軽傷は数えられず、という経歴の持ち主である。

職務熱心なのはそれだけ見ればあきらかもいいところで、室井は身に染みて青島の職務熱心さは認めていたが、それでも可愛い娘の嫁入り先としては(別に婿取りでも良いが)、やっぱり娘にはダイ・ハード(なかなか死なない)な男と幸せになって貰いたいと願うのは親心というものだ。

来週から警部補に昇進したらすこしは暴走もやまるだろうと信じているのだが。

「まあ、一杯いこう。すみれ、もういいからこっちに来て座ったらどうだ。まだ体調が完全じゃないだろう」

出産後6月である。

赤子の世話などやったこともない室井は徹底的に役立たずで、夜泣きだのミルクだの入浴だの突然の発熱だの、疲労と過労とで倒れるかと思った。双方の実家の母親の物心両面での援助がなければ、とてもじゃないが切り抜けることは出来なかったし、実は仕事を理由に三日ほどホテルに避難したこともある。

溜まりまくっていた仕事を一気に片づけるためだったのですみれの理解も得られたのだが、しかし「育児放棄」と罵られても返す言葉もない新米パパなのであった。

しかしながら今日は青島の警部補昇進祝いを兼ねた「さくら」のお披露目である。客は青島だけだ。これならすみれの負担も重くない。

3人と、すやすや眠る赤子は、普段よりちょっと豪華な食卓を囲んだ。

――――生涯の友人に、愛しい子供。そして美しい妻に、充実した仕事。

人生をいろどるものすべてが揃ったような現在の自分。

笑顔に囲まれながら、室井は満ち足りていた。

     

* **

       

「しかし、君はまだ結婚しないのか?」

青島を駅まで送るからと、二人で空気の籠もった家から一歩出て夜の道をあるく。

「署長みたいなこと言わないで下さいよ」

「この話題は厭か」

青島は笑っただけだった。

二人だけで言葉少なに並んで歩けば、まるで独身時代に戻ったようだ。

子供も妻ももちろん愛しているけれど、独身が長かった室井には、常に誰かが傍にいるというのは時折息が詰まるような窮屈さを感じて、こうして正当な理由を付けて抜けだせると、自分でも後ろめたいほどの開放感がある。

けれど青島を見ると、内蔵された室井の高性能エンジンが、熱く、力強く、回転を始めるのを感じる。

まだ俺には熱がある。まだ走ることができる。ともすれば流されそうな日常の中で、青島がそれを教えてくれる。隣を歩くだけで、その息づかいだけで。

そう、あれからもう1年――――。

「俺が退院してくるまでには、結婚決めてたんですか?」

ふと青島が今更な質問をしてきた。

「――――そうだな、なんだか、初めて結婚しようかと思ったな。」

青島の入院や身体の調子について、室井は直接病院に行けなかったから、湾岸署の刑事課に電話して情報を収集していた。そのрフ相手はたいてい恩田すみれで、なんとなく食事を共にするようになり、意見も合うし、分け隔てない彼女の態度にほっとする自分がいて、それが好意に変わるのはそんなに時間のいることではなかった。

「彼女なら、いいんじゃないかと」

けれど本当はお前が俺達を結び逢わせた。室井は思った。

彼女は、本当はお前が好きだったんじゃないか。そう考えたこともあった。

そしておそらくそれは正しいことだ。けれど彼女はお前を諦めて、そしてそのころ私と出会ったんだろう。

そう言う事情を知ってもなぜか青島に嫉妬しない自分がいる。

不思議な関係だと思っている。おそらくすみれと自分は、一種の「青島」という太陽の周りを回る惑星のような存在なのだろう。青島がいなければ、交わることの無かった軌道だった。

「電撃結婚でしたよね」

「そうでもないが」

「俺が恋のキューピッド役?」

「馬鹿か」

照れて、室井はつっけんどんに言った。

「そんでハネムーンベビー」

ハネムーン、という言葉に室井は最近の記憶を触発された。

「あのなあ、お前、わざわざ人の結婚式の帰りに死にかけなくてもいいだろ?」

   

  *

   

結婚式は大盛況だった。

キャリアもノンキャリも混合の制服だらけの結婚式は、「さすが格差撤廃を謳う室井警視正らしい」と好意的(?)に受け止められ、待合室は様々な数の星が煌めき壮観であった。ちなみに披露宴会場は羽田ビッグバードである。制服警官の人口密度の異常な高さに当日の羽田利用客はさぞ驚いたことであろう。

さて開場前から用意された樽酒・ワインは瞬く間に消費され、また披露宴会場に「新婦は既に飲んだくれているらしい」という噂が届くに至って、完全無礼講になだれ込みそうな気配は濃厚だったのだが、それでも微かに頬が上気した新婦のウェディングドレス姿に会場はうっとりと酩酊し、こちらは普段と変わりない室井警視正の、小柄ながらも隆とした男前ぶりに居住まいを正され、宴はそれなりに粛々と進行していたのである。

その会のムードが変わったのは中盤過ぎであった。

それまで大人しく喰ったり飲んだりしていた青島は、

「では新郎新婦のご友人であられます、アオシマシュンサクさんから、お祝いのスピーチを頂きたいと存じます」

という紋切り型ばかり言っている司会に指名されるや、がたりと立ち上がるとすたすた司会の所まで歩いていった。

そして「?」という顔の司会者の机の上からマイクを奪い取った。

なんか先輩、最初から異常にテンション高かったんですよ、とのち真下警部が耳打ちしたことである。

      

青島は雛壇の下に歩み寄り、室井を見上げつつ立った。

客には尻を向けていたが、その失礼な態度にも、

「僕が新米刑事だったとき、室井さんは捜査一課の管理官でした。黒いコートを颯爽と翻して、白い手袋をはめながら…」

なんぞと切々たる昔語りを始めた時には、室井の眉間の皺はあっけなく解かれてしまっていたのである。

いけない。

室井は目をしばたたいた。

青島のとつとつとした語り口は、真下警部銃撃事件、二人で抜け出した捜査本部、二人でかけられた査問会議、海を眺めて「捜査しでなあ…」、お互い苦しい立場にあった秋の誤解、そして副総監誘拐事件と「室井さん、俺はあんたの命令を聞く」…それらすべての歴史の一つ一つを辿っていった。

青島はそうすることで、それぞれの参列者に、それぞれの記憶を呼び起こさせた。人々は、この男が室井を動かし、自分たちも動かし、警察組織をも動かしたという、そういう歴史的瞬間に自分たちが立ち会ったのだということを、そのスピーチで再確認させられたのだった。それは感動的なスピーチだった。いや、それはもはや、いわゆる「スピーチ」ではなかった。恐らくそれは、銘々の記憶のなかに刻みつけられるべき、「栄光ある歴史」だったのである。

耳の痛いことが多いはずのキャリアすら、黙然と耳を傾け座っていた。いや、階級に関わらず、そっと目尻を拭う者も多かったのである。

一方室井は、なんて口が上手い男なんだ、こんな時まで格好つけやがって―――などと悪口を並べてみたけれど、無駄なことだった。

せりあがるものを押さえかね、自分に向かって訴えるように語りかけてくる男に、自分の不覚の涙を見られまいと室井は俯いた。

青島。青島。

ああ、自分はなんという時代を過ごさせてもらったことだろう?

なんという男と、自分は同じ時間を過ごさせて貰ったことだろう?

今隣に座っている妻でさえ、お前と出会わなければ手に入れることは出来なかった。

お前が、お前こそが、ここにいる俺達すべてを変えてくれたのだ。

      

感激の渦にのまれて、ついに涙をとどめる努力が敗北しようとしたときであった。

「―――そして今日のこの日、僕の心から敬愛する室井さんと、良き同僚のすみれさんの新しい門出を祝して、僕が出来る精一杯の思いを込めて、室井さんに、熱いキッスを贈りたいと思います!」

と叫ぶや青島が壇上に踊りこんできたのである。

はあ?!と唖然としている間に引きずり立たされ、

「おめでとうございます」

と青島が間近で囁いたかと思うと、室井は唇を奪われていた。

ぎゃあああああ、という悲鳴と、ぎゃははははは、という爆笑に包まれた会場で(一番ゲラゲラ腹を抱えて笑っているのは、何を隠そう自分の妻であった)青島はギャラリーにたっぷりディープキスを見せつけると――――室井は羞恥で死にそうな気分だったが――――暴れる室井を手放し、マイクを握るや叫んだ。

「野郎ども!今ならすみれさんも室井さんも触り放題だぜ!これが最後の合法的なチャンスだ〜!」

青島が、こいよ!と呼びかければ、異様な興奮にブチ切れた男も女もが(つけくわえれば、この時点までに列席者の大半は酔っぱらっていた)どっと雛壇に押し寄せ、もう何がなんだかよく覚えていないのだが、四方八方から写真は撮られるわビールは降ってくるわ紙吹雪は舞い上がるわキスはされまくるわ(しかし唇だけは守り通した室井であった)わっしょいわっしょい胴上げはされるわ2メートルのケーキは倒れるわ、ともかく「かつてあんなに面白い結婚式はなかった」と臨席をたまわった吉田副総監に言わせしめたほどの大盛況(大混乱の間違いであろう、とは唯一席を立たなかった新城警視正の言であるが)のうちに、祝賀の式は幕を閉じたのであった。

    *

「死にかけるにしても、時と場所を選べ。馬鹿野郎。」

なだれ込み式の二次会も終わり、そのまま北海道へハネムーンに向かった新郎新婦を見送った直後、何も帰りの高速で事故らなくてもいいじゃないか。

死人が出なくてよかったけれど、中央分離帯に激突した青島の四駆は大破、青島と真下警部はそのまま入院。

真下は奇跡的に頸部むち打ちで済んだが、青島はハンドルにぶつけたせいで肋骨と肺を損傷したうえ、さらに頭部をガラスに激突させ、運ばれた病院で1日意識が戻らなかった。

旅先から2日目に東京は大丈夫かと(すみれに睨まれつつも)р入れた室井は、急遽予定を繰り上げて病院にかけつけたのだ。

「そんなこともありましたねえ」

「まったく…」

ありましたねえ、じゃないだろう。何度も何度も死にかけやがって。こっちの気持ちにもなってみろと言うのだ。

「お前、柏木くんとはどうなってるんだ」

結婚して家族ができれば、この男の暴走もおさまるに違いない。失うものが出来れば人間保守化するのは世の理である。

「え〜?雪乃さんは、そういうんじゃないですよ。それに、彼女には馬鹿にされてますから、オレ」

特殊な運命で今は警察官になった美女を室井は苦手とする。

すみれのようにぽんぽん喋ってくれればまだ分かり易いのだが、彼女の淵のように静かな瞳と寡黙さは、過去に苦い思い出のある室井をいたたまれない気持ちにさせるのだ。しかし彼女が青島を追って警官になったのは事実だし、同じ職場で優秀な同僚として青島も彼女を遇しているようだし、何が気に入らないのかよくわからない。

自分がすみれと結婚したからというわけではなく、柏木雪乃と青島というのはかなり似合いのカップルだと思うのだが。

「あんまり気を持たせるのは感心しないな」

女性には出産にも適した年齢というものがあるだろうし。そう思って室井は諫言した。

「そんなこと…」

珍しく苦い表情で彼が呟いたので、室井は自分が踏み込みすぎたと感じた。

「すまん。結婚の遅かった私が言うべき事じゃないな。まあ、何事も縁だから、これという人が現れたら君も結婚するだろうしな」

「これ、という人ねえ…」

青島は鼻の横をかりかりと掻いた。

その照れ隠しとも受け取れるような仕草に、室井はほう、と思う。

もしかしたら、青島にももうそういう人がいるのかもしれない。いずれ、紹介して貰えるだろうか。

楽しみだ、と思った時に、二人は駅の入り口に着いていた。

   

* *

  

じゃあまた、という挨拶のあと、足早にもと来た道を帰っていく背中を見送る。

   

好きだ。

あんただけが。

     

きっと、客観的に見れば、自分は「可哀想な男」なんだろう。いや、それとも新城が喝破したように、「愚かな男」というのが正しいのかもしれない。

『気を持たせるのは感心しないな』

「――――どっちがだよ…」

苦笑し、駅の階段を軽くびっこをひきながら下りる。

室井が付けた傷だ。だから愛おしいと思う。室井と自分を繋げる絆だから。すみれは彼に子供を与え、彼は俺にこの傷を負わせ、この傷で俺は彼に十字架を背負わせた。だから愛おしい。

『これ、という人が現れたら…』

「――――もう、現れちゃったもんなあ…」

ただ、その人にとっての「これ」は自分ではなかった、というだけで。

その切なさに事故死しかけたけれど、目が覚めたら彼が必死の顔で覗き込んでいた。ハネムーンを切り上げて、そのまま病院に来てくれた。

その時、これでいい、と思った。

これだけでいい。自分はもう、手に入れているんだと。

――――すみれとは違う形だけれど。

『よかった…目が覚めてくれて、本当に良かった』

室井が顔をくしゃくしゃにしてそう自分に囁いたとき、目尻から枕に吸われた水の理由は、自分でもよく分からなかった。

ただ、生きていること、室井をまだこれからも、自分の目で見ていることが出来ること、室井の声を聞くことが出来ること、室井の隣を――――彼を挟んで向こうにはすみれがいたとしても――――歩き続けることが出来ること。

きっとそれらすべてが嬉しいのだと、そう思おうと、思った。

      

地下鉄が金属音をたてて滑り込んでくる。

そこに飛び込みたい、という欲望を抑えるのは、本当は今日みたいな日にはなかなか難しいのだ。

けれど。

青島は混雑した車両に乗り込んだ。

ドアの傍に立てば窓ガラスには中年男の、諦めを飼い慣らした顔がぼやけて映っている。

                

『…僕が新米刑事だったとき、室井さんは捜査一課の管理官でした。黒いコートを颯爽と翻して、白い手袋をはめながら現場のテープをくぐってきた日のことを、僕は、昨日のことのように思い出すことが出来ます…』

  

ああ、ああ、それでも記憶だけは俺の手から奪うことは出来ない。

この記憶だけは。

     

幸福な親子3人が暮らす場所から遠くへと運ばれながら、青島は一言一句違わず覚えている言葉を、もう一度、もういちど、とくりかえしていた。

     

――――僕が新米刑事だったとき…

         




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20010317
ヨーロッパ旅行に行かれると聞き、じゃあ帰ってくるまでに書こうと。一週間でこれしかできませんでしたが、「すみれと室井がラブラブで青島が可哀想な話」というリクエストにはお応えできたかと思いますが…
(もっと可哀想にしろ、とかもっとらぶらぶにしろ、とかいわれても、はるなにはこれが精一杯でしゅ〜)

お誕生日&サイト開設おめでとう。今後も宜しくおつき合い下さいませ。



はるなさんありがとうございます〜〜〜〜〜!!!
どうしましょうすごいもの書いて貰っちゃったよ!ああ鬼のようなリクしてよかった・・・・・・・・。
もう余計な言葉つけてはいかんと思うのですが、はるなさんの青島の刺すよ―な感受性がえぐい。
そこいらにありそうな渇望のかなしみつーんですか。
なんか、どうしようもない仕方ないっていう決意みたいのが私的に腹に甘いです。
いや字書きのひとの表現力ってのは凄いですわ。ブラボーはるなさん!
うちもはるなさんの妾一号として精進せねば。こちらこそよろしくお願いします!
         嵐山 さが乃

あう〜ん!(鳴)
はるなさん、ありがとうございます〜。 {{o(>▽<)o}}
すみれさんオッケー!ぐーですよ!!ああ愉快な結婚式…。
青島が何ともいえません。
幸せではないかもしれないが不幸でもない人生なのねー、あんた。
もし死ぬんなら電車なんぞに飛び込まず、テロリストからダム守って雪山で遭難でもしなさい!(笑)
人間やめるならそれなりに人に思われる形の方が良いっしょ。
         嵐山 かつら


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